「大きい車どけてちょうだい」(読売新聞大阪本社「窓」というコラム欄に掲載された文章 ちょっと長いけどお付き合いください。 -------------------------------------------------------------------------------- 「大きい車どけてちょうだい」 きょうこのページに、一通のお手紙を全文掲載させていただきます。さる10日、大阪府堺市鳳北町1-24-6にお住まいの林知里さんという一人のお母さんから、朝刊の「窓」てに届いたおたよりです。 窓に紹介するたくさんのお手紙は、あの小さなスペースにははいりきらず、適当に短くさせていただくのがほとんどです。でも、きょうの林さんのおたよりは、掲載する場所をかえてでも、一字一句残 らず、紹介させていただこうと思ったのです。 この夏、最愛の坊やを交通事故で失った悲しみ、苦しみが、六枚の便箋に連綿とつづら れています。 お手紙を社会部で回し読みしながら、みんな、目がまっ赤になりました。 だれもが無言でした。 どんな言葉も出ないほどの悲しい手紙です。 だまっている胸のうちにあるものは、われわれが交通事故の取材をするとき、一件の事故の裏にある深い悲しみ、多くの問題を見逃していなかっただろうかという思いです。そして交通事故について考えるために、どんな記事よりも、この手紙を読んでほしいと思いました。 お父さん、お母さん、治療に当たる医師、事故の防止と処理に当たる警察官、行政機関の人びと、先生がた、ドライバー、いや、好むと好まざるとにかかわらず、クルマ社会の中で暮らさなければならないすべてのかたがたにお読みいただきたいと・・・・・。(社会部・窓) 窓様へ。初めておたよりいたします。いつも楽しみに窓欄を読ませていただいております。 お手紙を出そうかどうしようかずっと迷っておりましたが、やはり息子の最後の言葉を聞いていただこうと思い、ペンを取りました。 私の息子は去る七月十六日の夕方、交通事故にあい、翌十七日早朝、初めての夏休みを目前にして六才半の短い一生を終えてしまいました。 大阪府下ことしニ百人目の交通事故犠牲者とかで、新聞などでとりあげられました。 いつもは家の近所でばかり遊んでおり、お友達の所へ行ってきたらと言う私に「遠いからいいの」って答えていた息子(和也といいます)だったんです。 でも事故の前日と当日に限って友達の家に遊びに行っての帰りでした。 ■ネコと同じなんて その日、初めは私の家にきて遊んでいたのですが、バッタ取りに行くからと言って出かけたんです。 夕方一人の友達が帰ってきたので、まだこれから遊ぶと言う彼に「和也君にごはんだから帰るように」って伝言を頼んだんです。 その帰りに事故にあいました。 前日も六時過ぎても帰って来なかったので「遅く帰ってきたらごはん食べさせないよ」って叱ったところだったので、早く帰らないと私に叱られると思って飛び出したのではないかと、ずいぶんくやみました。 その道路は東行きが結構渋滞しており、西行きがすいているため危険なのです。 事故の前日も同じ友達の家に行っておりましたが、帰り道で近所のおじさんに車に乗せてもらい、一度は命拾いしたのですが・・・・・・飛び出しとはどういう場合を言うのでしょうか? 和也の場合、目撃者のかたから後で聞いたのですが、左右きちんと確認してから走ったらしいのです。 でも子供ですから走る時は下を向いて一目散。 車のスピード感が一年生の息子にはつかめなかったのか、それとも死角になって車が見えなかったのか・・・。 自分で左右確認して走って事故にあったのだから仕方ありません。 横断歩道のない所を渡る時に、親として注意できること、それは「右左をちゃんと見て渡りなさい」って言えるだけではないでしょうか。 大人だったら右左見ながら歩きますよネ。 でも小学校一年の息子にそんなこと、こわくって出来なかったろうと思います。 相手のかたが、もし前を見て走ってさえいてくれたら、ブレーキを踏んでいてさえくれたら、けがだけですんでいたのではないかと残念です。 警察で「相手のかたが『最初はネコか犬をひいたと思った』と言っていた」と言われた時の私の心の中をお察し下さい。 大切な息子を犬やネコと同じにして、たとえ加害者が警察でそのように言ったとしても、両親の前で言うべきことではないのとちがいますか。 私にはこの警官の一言が忘れられません。 さて事故の後、和也は三国ヶ丘のS病院へ運ばれました。 最初の診断は頭に異常ありません、腹部を引きずられているので腸がやられているかもしれないが、十二時間くらい経過を見ないとわからない。 お腹がはってくるようだったらすぐに手術します。 十二時間は目が離せません、とのこと。 他に大腿骨が真横に骨折してましたし、あちこちすり傷だらけ。 でも頭は大丈夫とのことだから一応安心しておりました。 一晩中「のどがかわいた、お水ちょうだい、お水ちょうだい」って言ってました。 けれど、お腹がやられているかもしれないから、一切水は飲ませてはならないと言う医者の指示で、心を鬼にしながら、水をほしがる息子に与えませんでした。 祖父母の顔を見たとたん、゛おばあちゃん、お水ちょうだいって、動かせない体を上半身おこして、手を さしのべたんですよ。 お父さん、お母さんに言ってだめでも、おじいちゃんたちの甘いのを知ってたからでしょうね。 とにかく、のどがかわいた、あつい、かゆい、ハイソックス(包帯のこと)をぬがせ、その他、学校のこと、宿題のこと、お友達のこと、近所のお友達のこと、弟のこと、心に気にかかることすべてを話したみたいです。 あまりしゃべらせたらだめだって言われたけれど、息子の質問に全部答えてやったら、いちいち納得したみたいでした。 翌朝五時近くになって、息子もおちついているみたいだし、゛十一時間たったね。 お腹もはってきていないし、峠こしたかな゛って喜んでいた途端、何だか息づかいがおかしくなってきたので、看護婦さんに来てもらったが、゛えづいているんでしょう、様子みてください゛ってことで、医者も呼んでもらえませんでした。 だから医者が来てくれた時は、もう虫の息でした。 呼吸困難おこしてから半時間もたたないうちに、息子はあっけなく亡くなりました。 胸をかきむしりながら、のびをして、うなっておりました。 あの時が一番苦しかったんでしょう。 ゛大きい車どけてちょうだい゛。 これが息子の最後の言葉だったんです。 この言葉が、和也が事故に関して言ったたった一つの、そしてこの世での最後の言葉です。 この言葉を、私は車にのっている、また免許証をもっている、すべてのドライバーのかたに伝えたかったんです。 ■自分の子と思って ゛大きい車゛。 そうなんです。 たとえ軽自動車にのっているかたでも、人間、まして子供にとっては゛大きい、大きい車゛なんです。 その大きい車を、あなたがたは運転されているんです。 車と相撲をとって勝つ人間はいないのです。 いつも自分は大きい車にのっているんだ、だから注意して、安全運転しなければならないんだ、と肝に銘じて運転して下さい。 それから、最低限度前を向いて走って下さい。 いくら横断歩道があろうとも、信号があろうとも、脇見をされていたら、ないに等しいのです。 自分の子供のことを考えて走ってくだされば、あまり無茶な運転は出来ないと思うのですが・・・・・。 子供を持っておられない若いかたには、子供の習性がわかりにくいでしょうか。 ということで、事故から十二時間後に息子は六歳半という短い生涯を終えてしまいました。 医者の死因は脳挫傷ということでした。 でも、初め頭に異常がありません、と聞かされていた私には、レントゲンだけではわかりませんでしたと言われても、納得できませんでした。 それに、その病院には、すばらしい脳検査の装置が設置されていたと、あとからわかり、何の検査もしてもらえず、亡くなった息子のことを考えると、とても残念です。 十二時間、目が離せないと言われたわりには、見にもきてくれなかったし、素人目にみても呼吸困難をおこしているのではないかと思えるのに、医者もよんでくれなかったし、こんなことを言っても亡くなった息子は帰ってはきませんが、出来るだけのことをしていただいて亡くなったのなら、あきらめもつきますが、違う病院に運ばれていたらって思うと、残念です。 脳挫傷で、初めから助からないってわかっていたならば、あれだけほしがっていた水を、思いっきり、のませてあげたかったです。 おっとりしてあり、こわがりだった息子が、まさか交通事故にあうなんて。 でも、そのまさかがこの世にはおこるのですね。 昨年秋に私のおじが亡くなってお葬式、骨あげ、初七日、四十九日、納骨とすべての法要に参加して以来、時折「和君、死ぬのいやや、こわいねん、祐二(弟の名)とわかれるのはいややねん」と言って泣いていた息子だったんですが、彼には何か感ずる所があったのでしょうか。 小さい時からしっかりしているね、かしこいねってみなに言われながら育ってきた息子。 学校ではものしり博士だったらしい息子。 賑やかなのが好きで誕生日だと言っては両祖父母たちも集まり、入学式には両おばあちゃん、私、弟のつきそいで行きました。 中学校、高校の分まですませていったのかもしれません。 ゛和君、三国ヶ丘高校(私も主人も卒業生なので友達がほとんど三国出身)へ行くんやで゛って言ってましたから、家の外でそんなこと言ったらだめだよって言っておりましたが、その高校が彼にとってプレッシャーになる前に亡くなってしまいました。 予防接種もすませ、虫歯の治療もすませて会いたい人には亡くなる二週間の間に全部会っています ので心おきなく行ったことでしょう。 いまごろ、゛和君、かしこいんやで゛ってみなに自慢しているかも。 なぞなぞ遊びが好きだったので、きっとなぞなぞで遊んでいるでしょう。 弟にはお兄ちゃんはウルトラマン80に変身していつもみなのこと見守っているからねって言いました。 困ったことがあったら助けに来てくれるよって、弟は弟なりにそう思いこもうとしているみたいです。 ゛死゛とはどんなことか、3歳半の彼にはわからないでしょう。 でもお兄ちゃんはもう帰ってこないっていうことはわかるみたいです。 毎日必ずお兄ちゃんのことを口に出します。 ■形見の種をどうぞ 事故から五ヶ月近くたってようやく三人の生活にも慣れてきましたが、長男のことは生涯忘れることが出来ないでしょう。 いまでも家にはいないけれど、どこかに生きている・・・・・・そんな気がします。 同封のお金(五千円)は息子の供養です。 少しですが、地の塩に加えて下さい。 それと、千円は亡くなった息子が主人からもらった最後のお小遣いです。 クルクルテレビのウルトラマン80のカセットを買うって、とりおいていたお金です。 カセットの方は納棺の時に私の弟が買っていれましたので使うことなくこの世に残して行きました。 地の塩に加えていただいてどなたかの役にたてていただければ息子もきっと喜ぶだろうと思います(読売テレビの24時間テレソンの時も自分のお小遣いをだしたくらいです)。 同封の種は普通の朝顔の種ですが、学校の理科の教材で息子の形見となった朝顔の花からとれた種です。 来年その種をまき、花をさかせ、またその花からとれた種を翌年まき・・・・・。 夏になったら息子が帰ってくるような気がします。 全部はお送りできませんが、半分同封致します。 出来たら遠方のかたにもらっていただけると遠くに旅が出来るみたいでうれしいのですが・・・・・。 去年、息子と一緒に《戦争》展を見に行ったんですよ。 一昨年はまだ小さくって連れて行かなかったのですが、去年は゛なんで戦争なんかするんやろ、あほやな!゛って感ずる所があったみたいでエラブカ仏等にお供えをしておりました。 ことしも一緒に行く予定だったのですが、来年は彼の写真と一緒に行こうと思います。 それと弟を連れて。 ゛大きい車どけてちょうだい゛この言葉は私は一生忘れないでしょう。 時節がらスタッフのみな様がたお風邪をめしませんように。 長々の乱筆乱文お許し下さいませ。 十二月六日夜、林 知里 |